概要
【名称】
公益財団法人エリザベス・アーノルド富士財団
THE
PUBLIC
FOUNDATION OF
ELIZABETH
ARNOLD‐
FUJI
【代表者】
理事長 安 田 智 彦
【事務所】
〒467-0064 名古屋市瑞穂区彌富通一丁目21番地
TEL:052-833-5199
FAX:052-834-2961
【設立年月日】
昭和42年4月12日
【目的】
主食である米、麦等に関する研究、調査を通じて、国民の健康な食生活を推進し、食品産業の発展に寄与すること
【基本財産】
474百万円(令和6年3月31日現在)
財団設立の経緯と趣旨
昭和28年のある日、当時フジパン株式会社社長であった故舟橋正輝氏は、雑誌リーダーズダイジェストに掲載された一パンメーカーの奮闘記に心をひかれて、早速、同業者としての共感と賛辞を手紙に託して書き送った。それが米国コネチカット州のアーノルド・ベーカーズ社であった。
同社は、南極探検隊長バード少将が極寒で凍結したパンの味覚が美味しく蘇生した体験をヒントに、冷凍パンを生産し大変な好評を博し、米国を代表する良質のパンという代名詞にまでなっていた。
一方、フジパン株式会社は、故舟橋甚重氏が日本の伝統的和菓子の製造法を修行し、更に、大正ロマンの影響下にあった洋風菓子やパン製造法を取得して、大正11年5月、名古屋市中区長岡町に「金城軒」というパン・菓子を開業したことにはじまる。
大正から昭和20年代にかけて世情の変化は激しく業績にも大きく影響した。昭和16年8月には生活必需物資統制令に基づく企業整備の対象となり、一時、休業の止むなきとなったが、昭和20年終戦となり、当時極度に逼迫していた国民食料の確保と人心安定のため資材の入手も困難な中でいち早く操業を再開し、学校給食用・総合配給用パンの委託加工工場を経て昭和26年に株式会社に改組、爾来企業の近代化、合理化、大型化に取組み成長を遂げ、現在ナショナルベーカリーとして発展を続けている。
同社は、創業以来「良いパンをつくり、真心こめて人々に差し上げる」を企業理念とし、「パンを通じて社会に奉仕する」ことを信条としていることから、当時、その手段を模索していた。
このような状況の中で、良いパンをつくろう、お客様に喜んでいただける美味しいパンを創出しよう、という気持ちを託した文通は続き交流を深めた。昭和36年5月に東京で開かれたロータリークラブ国際大会にポール・アーノルド社長夫妻が来日されたのを機に技術提携の話が急速に進んだ。同時に、両家の交流は家族ぐるみの交際に発展し益々信頼感が深まった。そんな折の昭和42年アーノルド氏夫妻から「私達には後継者がいないから、技術提携のロイヤリティは全て日本のパン普及向上に使って下さい」との申し出があった。
昭和30年代以降の食生活は、生活水準の向上とともに「量」からより健康で美味しいものといった「質」を追究する傾向が強まってきたが、当時、我が国のパン産業を始めとする食品工業は、工業としての基礎的・専門的研究が立ち遅れ、美味しいパンづくりのためにはパンに関連した食品科学の基礎的研究の重要性を痛感していた。
フジパン株式会社は、これを契機に財団設立を決意、あわせてアーノルド氏夫妻の意思を尊重し、かたわら日米両国の親善関係強化に資するため、アーノルド社は、技術並びに工業所有権の供与による対価の受領を辞退し、これを寄付。また、舟橋甚重氏、舟橋正輝氏、舟橋彪氏及びフジパン株式会社も財団設立に必要な財産を寄付し、「パン用国産麦の品種改良、製パン技術の向上発展、パンの消費需要喚起及び奨学金による育英等を通じ、社会公共の利益に寄与する」ことを目的とした(財)エリザベス・アーノルド富士財団を昭和42年4月農林大臣の認可を得て設立した。
昭和42年4月12日
(注)旧フジパン株式会社は平成18年7月1日に商号変更を行っており、現在の商号はフジパングループ本社株式会社です。
また、当財団は平成24年4月1日に公益財団法人に移行しました。
組織・役員
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